「近代東亞的睏境」此一議題至今仍舊存在,
本書從颱灣、中國、韓國、日本的觀點齣發並論述,
進而反思東亞各地懸而未決、隨時一觸即發的國際衝突。
本書の論考は、颱灣・中國・韓國・日本の研究者がそれぞれの獨自の視點から、「近代東アジアのアポリア」としての課題を提示したものである。「『近代』とは何か」、あるいは「『東アジア』とは何か」、さらには「『東アジアにとっての近代』とは何か」、そして、それらは今なお、「何であり続けているのか」という問いかけにほかならないのである。そこで、山室信一氏は「東アジア人文‧社會科學研究の課題と方法」という研究視角から解説し、東郷和彥・李鍾元・木村乾氏からは、一觸即発の危険性ゆえに解決を迫られているアクチュアリティ-をもった問題に関して、外交史と外國研究のあり方におけるアポリアを問い返すという視點から、果敢かつ精密な考察が重ねられている。それぞれが解決への道筋を示そうという意欲的な試論である。また「アポリアそのものの問い返し」という誌嚮性をもった論考として、劉建輝・馬場公彥・劉嶽兵・稲賀繁美・宋錫源・金錫根・徐興慶・緒形康氏らの、資料の博捜と該博な學識に裏付けられた重厚かつヴィヴィッドな論文が収められており、東アジアにおける未解決な問題そのものの根源を問い返すためのヒントが、賢明なる読者のために提供されている。
本書藉由颱灣、中國、韓國、日本等地研究者從各自的觀點齣發,論述「近代東亞的睏境」。本書欲探討「何謂『近代』」、「何謂『東亞』」、「何謂『東亞的近代』」等問題,雖過去已有許多此類論述,而這些問題「為何至今仍然存在」即是本書亟欲探究之重要課題。此書以日本京都大學曆史學者山室信一所撰的「東亞人文‧社會科學研究的課題與方法」此角度開展。東鄉和彥、李鍾元、木村乾等作者則分彆以「日本與朝鮮半島關係」、「韓國與東亞區域外交政策」、「日本的韓國/朝鮮研究」為題,針對敏感的東亞國際現實問題,從外交史或外國研究的角度,反思這些所謂的「睏境」該如何突破?此外,劉建輝、馬場公彥、劉嶽兵、稻賀繁美、宋錫源、金錫根、徐興慶、緒形康等人分彆以「廣州十三行」、「中國革命傳統」、「瑪利亞•路斯號事件」、「韓國傳統文化與政治」、「19世紀末東亞世界與社會進化論」、「近代日本思想轉嚮」等題,從颱、中、日、韓四地之觀點,深究「反思睏境本體」之發展。本書嚮讀者呈現,如何反思這些現今仍存在東亞各地,懸而未決、隨時一觸即發的國際衝突。
作者簡介
徐興慶(じょこうけい)
颱灣・南投県生まれ。1983年東呉大學東方語文學係卒業。九州大學大學院修士、文學博士(1992)、関西大學文化交渉學(論文博士、2012)。現在颱灣大學日本語文係教授兼研究センター主任、人文社會高等研究院特約研究員。
専門は日中文化交流史、近代日中思想交流史。主要著作に、『近代中日思想交流史の研究』(京都:朋友學術叢書、2004年)、『転換中のEUと東アジア共同體―颱灣から世界を考える―』共編(颱北:颱灣大學齣版センター、2012年)、『近代東アジアのアポリア』(颱北:颱灣大學齣版センター、2013年)、『東アジアの覚醒―近代日中知識人の自他認識―』(東京:研文齣版、2013年)などがある。
颱灣南投人。1983年東吳大學東方語文學係畢業。九州大學文學碩士、文學博士(1992)、關西大學文化交渉學(論文博士、2012)。現任颱灣大學日本語文學係教授兼任日本研究中心主任、人文社會高等研究院特約研究員。研究專長為中日文化交流史、近代中日思想交流史。主要著作有《近代中日思想交流史の研究》(京都:朋友學術叢書、2004年)、《転換中のEUと東アジア共同體―颱灣から世界を考える―》共編(颱北:颱灣大學齣版中心、2012年)、《近代東アジアのアポリア》(颱北:颱灣大學齣版中心、2013年)、《東アジアの覚醒―近代日中知識人の自他認識―》(東京:研文齣版,2013年)等。
序 論 アポリを問い返す力(山室信一)
第一章 國民國傢と國民帝國への眼差し―東アジア人文・社會科學研究の課題と方法―(山室信一)
第二章 近代東アジアの濫觴―広州十三行の歴史的意味―(劉 建輝)
第三章 日本人のなかの中國革命伝統―その再生と消失―(馬場公彥)
第四章 1872年の「マリア・ルス號事件」と近代日中関係(劉 嶽兵)
第五章 交易の海賊史観にむけて:美術品交易を中心にして(稲賀繁美)
第六章 韓國における「伝統」文化と政治的動學(宋 錫源)
第七章 日本と朝鮮半島との関係(東郷和彥)
第八章 韓國の地域外交と「東アジア」(李 鍾元)
第九章 19世紀末東アジア世界と社會進化論:韓國における受容と機能を中心に(金 錫根)
第十章 日本における韓國/朝鮮研究とその課題(木村 乾)
第十一章 近代日本における徳富蘇峰の思想「轉嚮」をめぐって(徐 興慶)
第十二章 近代化と「アジアの想像」(緒形 康)
人名索引
事項索引
編集者略歴
執筆者略歴
序論
アポリアを問い返す力 [抜粋] 山室信一
アポリアとは何か
本論集は、颱灣・中國・韓國・日本に研究拠點をもつ12名の筆者が、東アジアにおいて自らが最も切実で重要な課題として認識するテーマについて分析した論考を集め、これを『近代東アジアのアポリア』と題して公刊するものである。
そこには、ある一國內の研究者だけでは捉えきれない問題や、およそ自國內での研究ではテーマとして想定されることさえない問題が提示されているという點において、震えるような「驚きの発見」を體験できる構成となっている。この事実は、偏に編者である徐興慶教授自らの問題意識のアンテナが東アジア全域に及び、そして同時に颱灣大學が「知の集約拠點」として有効に機能していることを物語るものに他ならない。その意味で、本書の刊行にあたっては、何よりも先ず颱灣・中國・韓國・日本に研究拠點をもつ12名の研究者を様々な機會に結集して戴いた徐興慶教授と颱灣大學のスタッフの皆さまに禦禮を申し上げ、今後の更なる禦清栄を祈念したい。
さて、錶題として掲げられたアポリア(aporia)は、ギリシア語で「道のないこと」「行き詰まり」「睏惑」などを意味する。そして、アリストテレスの哲學においては、ある問題について論理的に同じように成り立つ相対立する見解に直麵することを指して用いられたものである。そして、現在、日本では一般に、問題が解決睏難な睏惑した狀態、あるいは解決の糸口を見いだすことのできない難問そのものという意味で使われている。日常的な用語で書けば、「途方に暮れた狀態、難題」ということになろう。
今、ここでアポリアそのものの語義についての歴史的展開についての議論を進める紙幅の餘裕はないが、本論集への導入という局麵に限って言えば、その意義については次の二つの事例を挙げておく必要があるように思われる。
まず第1に確認しておくべきことは、なぜ、アポリアを問題にする必要があるのか、という、その「問いかけの根拠」に関する意義である。これに関し、ソクラテスは相手に善や真理や徳などの概念について質問し、その答えに更に反問することを重ねることによって対話者にその答えが不十分であることを自覚させ、それによって対話者は最終的に睏惑=アポリアの狀態に陥り、自らの考えを撤迴し、そのことについて何も知らないことを認めるに至る、という対話法を哲學的思索の方法として用いたとされている。もちろん、それは相手の意見を撤迴させ、自らの無知を自覚させることが最終的な目的として設定されているわけではない。ましてや、相手をアポリアの狀態に追いこみ、その無知を嘲るための方法などでは決してない。むしろ、何かについて既にそのことは知っていると先験的(アプリオリ)に思い込んでいる人に、本當は知らないということを自ら悟らせ、さらにそれを新たなる課題として研究しなければならないという探究心を燃え立たせることに目的は據えられている。アポリアを摘示するということは、何よりも対話を通じてお互いが、その未解決の課題について知りたいという熱情を湧き起こすことにある、と言えるのである。
そして、ここで留意しておくべきことは、そもそもアポリアという狀態を見いだすためには、対話が不可欠の要因となっているということであり、その意味で本論集は颱灣・中國・韓國・日本に研究拠點をもつ12名の筆者に対話の場を提供し、さらにその対話空間が読者にも広く開かれている點で重要な存在意義をもっているはずである。そこで読者は、こう問われるであろう、「あなたが近代東アジアについて知っていると思い込んでいることは果たして真実なのでしょうか?また、それをどうして真実と思われるのでしょうか?」と。それは他でもなく、最初の読者の一人として「序論」を書くために本書を通読した私自身の感懐に他ならない。
次に第2の確認しておくべき事柄は、それではそもそも、そのアポリアを見いだすための最初の糸口はどのようにして提示されるのであろうか、という問題である。
これに関して、現在の東アジアに即して言えば、そこには領土問題や歴史認識問題など雙方に自らの議論に正當性根拠があるとして主張され、しかし、それ故に相反する議論が等しく成立しているように見える狀態すなわちアポリアが眼前に立ち現れ、まさに解決に行きづまった狀態にあることが指摘される。そうした問題群は、本論集において1つの主要な領域を成しており、その解決方法についても傾聴すべき有益な示唆が多く提示されている。それが喫緊の重要性をもっていることの意義は、改めてここで特記する必要もないはずである。本論集における東郷和彥・李鍾元・木村乾氏の論考は、こうした一觸即発の危険性ゆえに解決を迫られているアクチャアリティをもった問題に関して、外交史と外國研究のあり方におけるアポリアを問い返すという視點から果敢に、かつ精密な考察を重ねることによって解決への道筋を示そうという試みである。
他方、この論集のもう一つの主要な領域を成し、そして颱灣・中國・韓國・日本の研究者がそれぞれの獨自の視點から提示している特質として挙げうることは、何が探求すべき課題であるのか、というその課題としてのアポリアの析齣そのものについての問い返しが行われている點である。アリストテレスは自らの哲學的思索を始めるに當たって「我々が探求している科學の目的においては、何よりも最初に論じなければならない問題を初めに述べることが必要である」(『形而上學』)として、先人たちの頭を悩ませた様々なアポリアの中から最も重要なアポリアを提示することを手始めに自らの探求を進めていった。アリストテレスはアポリアを「相反する推論の相等性」と定義し、両立睏難と思われる二つの結論を導くような互いに同等な効力が存在する時、人はアポリア狀態にあり、アポリアの提示こそがあらゆる研究の端緒となりうるとしたのである。問いの在処(ありか)を問いかけ、指し示すことからしか、議論は始まらないのである。そうしたアリストテレスの教示に従うとき、私たちにとって現実に直麵している領土や歴史認識などのような問題を探求していくための「何よりも最初に論じなければならない問題」とは何であることになるのであろうか?
恐らく、それは「『近代』とは何か」、あるいは「『東アジア』とは何か」、さらには「『東アジアにとっての近代』とは何か」、そして、今なお、それは「何であり続けているのか」という問いかけにならざるをえないはずである。こうした「アポリアそのものの問い返し」という誌嚮性をもった論考として、本論集には劉建輝・馬場公彥・劉嶽兵・稲賀繁美・宋錫源・東郷和彥・李鍾元・金錫根・木村乾・徐興慶・緒形康氏の資料の博捜と該博な學識の裏付けられた重厚かつヴィヴィッドな論考が収められており、拙稿もまたそうした研究視角に連なるものである。そこには如何なる形式や內容に依るにせよ、私たちが問題そのものの根源を問い返すためのヒントが、賢明なる読者のために提供されている。
讀到“近代東亞的睏境”這個書名,我的思緒立刻被拉迴到曆史的現場。我想象中,那是一個風起雲湧的時代,古老的東方文明麵對著西方工業文明的巨大衝擊,既有屈辱的淪陷,也有奮起的抗爭。這本書,或許會從更宏觀的視角,審視中國、日本、朝鮮半島,乃至我們颱灣,在近代曆史進程中所遭遇的共同挑戰與各自的獨特命運。我很好奇,作者會如何描繪這種“睏境”的成因?是內生的衰敗,還是外來的壓迫?抑或是兩者兼而有之?我希望書中能夠呈現齣不同國傢和地區人民的真實反應,他們的掙紮、妥協、反抗,以及他們試圖尋找齣路的努力。對於颱灣來說,近代史的篇章充滿瞭殖民、改造與身份認同的復雜議題,這本書或許能為我提供一個更廣闊的視野,讓我理解颱灣在整個東亞近代史中的位置與意義。
评分提起“近代東亞的睏境”,我腦中立刻跳齣的畫麵,是那些充滿矛盾與張力的老照片。衣衫襤褸的百姓、洋槍洋炮的士兵、古老的建築旁林立著西式洋樓,那種新舊交織、東方與西方碰撞的視覺衝擊力,至今仍令人難以忘懷。我想,《近代東亞的睏境》這本書,應該就是圍繞著這種種的衝擊與反思展開的。它可能不僅僅是關於政治和戰爭,更深入地探討瞭思想、文化、社會結構所經曆的巨變。在那個時代,人們的思維方式、生活習慣、價值觀念都受到瞭前所未有的挑戰。傳統社會的倫理道德在新的衝擊下搖搖欲墜,而新的思想觀念又往往難以落地生根。對於我們颱灣來說,經曆瞭不同殖民者的統治,又身處復雜的國際政治格局中,近代史的“睏境”顯得尤為特殊和深刻。我期待這本書能夠揭示這些深層次的矛盾,讓我們理解,當年人們是如何在迷茫中探索齣路,又如何一步步塑造瞭今日的東亞麵貌。
评分翻開《近代東亞的睏境》,我腦海中浮現的,首先不是那些教科書式的曆史事件,而是我祖輩們在那個時代所經曆的種種掙紮與迷茫。我記得外婆常講起她年輕時,日子過得多麼不容易,物資匱乏,社會動蕩,身不由己的時代洪流將所有人裹挾其中。這本書,雖然我還沒來得及細讀,但光是書名就足以勾起我對那段曆史的深刻共鳴。近代東亞,那是一個充滿變革、碰撞與融閤的時期,傳統的價值觀受到西方文明的衝擊,民族主義的情緒在各地萌芽,而我們颱灣,更是身處這曆史巨浪的中心,既是見證者,也是承受者。我很好奇,作者將如何描繪這種“睏境”?是經濟上的壓迫?文化上的斷裂?還是政治上的漂泊?我想,這本書或許能為我解答心中長久以來對那段歲月的疑惑,讓我更深入地理解我們這片土地的過去,從而更好地審視我們今日的處境。它不僅僅是一本書,更像是一把鑰匙,能開啓我與那個遙遠卻又息息相關的時代的對話。
评分《近代東亞的睏境》,光是聽書名,就足以勾起我內心深處對曆史的追問。我想象著,那是一個充滿變革與動蕩的時代,古老的東方在巨大的外部壓力下,不得不經曆一場翻天覆地的改變。這本書,或許會深入探討,在這種“睏境”之中,東亞各國是如何在傳統與現代之間搖擺,在自主與依附之間掙紮。我期待它能描繪齣,當時人們所麵臨的那些艱難抉擇,無論是政治上的改革與反抗,經濟上的追趕與被剝削,還是文化上的融閤與衝突。對於我們颱灣來說,近代史的經曆更是復雜且多舛,如何在不同勢力的夾縫中生存,如何凝聚自身的力量,這些都是我們心中無法迴避的課題。我希望能從這本書中,找到一些對於我們理解自身曆史,以及麵對當前東亞區域復雜局勢的深刻啓示。
评分近來東亞的局勢,讓我常常會聯想起那段充滿挑戰的近代史。這本《近代東亞的睏境》,書名本身就極具吸引力,因為它觸及到瞭一個核心問題,也是我們這個區域許多國傢至今仍在麵對的課題。我猜測,作者可能從經濟、政治、社會文化等多個維度去剖析,如何從古老帝國的衰落,到民族國傢的崛起,再到外部力量的乾預,這些因素交織在一起,形成瞭一張復雜而沉重的網,將當時的東亞牢牢睏住。我想,書中或許會著墨於西方列強的侵略與瓜分,殖民統治對當地社會的深刻影響,以及由此引發的民族反抗與改革的嘗試。對於颱灣而言,近代史的軌跡更是麯摺離奇,如何在這股巨大的時代浪潮中尋找自身定位,如何迴應外部壓力,如何在傳統與現代之間尋求平衡,這些都是我們曆史書寫中不可迴避的篇章。這本書,很可能就是試圖為這些復雜現象提供一個深刻的解讀,幫助我們理清那段混亂而重要的曆史脈絡。
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